『ヘル・レイザー』

 続いて『ヘル・レイザー』を見た。この作品は1987年のものなので、『エルム街の悪夢』よりかは3年後の作品になる。

 フランクが謎のパズルを手に入れ、パズルを解く場面からこの映画は始まる。究極の快楽を得られるという触れ込みの“ルマルシャンの箱”は、パズルを解いた者に究極の快楽と苦痛を与えるものだった。フランクはパズルを解いて現れた、不気味な魔導師から快楽と同時に苦痛を味わわなければならないことを教えられる。フランクは苦痛に耐えられず、辛くも逃げ出すことになってしまった。

 月日が経ち、フランクの弟であるラリーが新妻のジュリアを連れて生家に戻ってくる。フランクは行方不明になっていたが、フランクを愛していたと思われるジュリアは薄気味悪い部屋を見つける。ジュリアはその部屋でフランクと思われる人物に出会うのだ。そのフランクらしき人物は、赤子くらいの体長しかなく、皮膚がないゾンビのような姿をしていた。ジュリアはそのおぞましい姿に驚きと恐怖を覚えたが、彼の言葉を信じることにしたのだ。ジュリアのようにフランクをかなり愛していた人物でなければ、こんな言葉に耳も貸さなかっただろう。恐怖で普通は信じようとしないと思う。

 彼が言うには、血を摂取することで彼は人だった頃の姿を取り戻すことができるという。ジュリアはフランクの復活のために手伝う決心をし、男を招き入れては殺して血を集める。愛さえあれば、恐ろしい殺人にも手を染めてしまうという女性の弱みを感じてしまうエピソードだ。

 その異変に気付いた彼女の義理の娘、カースティは彼女の企みを暴こうと奮闘する。カースティは皮膚のないフランクを見てしまったものの、なんとかその場から逃げ出した。そして、物語の鍵となる“ルマルシャンの箱”をフランクから奪うことにも成功したのだ。“ルマルシャンの箱”は究極の快楽と苦痛を与える地獄への門のような存在であり、フランクは魔導師に見つからないように“ルマルシャンの箱”を自分で管理していた。カースティはパズルを何気なく解いてしまい、魔導師の元へと辿り着いてしまった。彼女は苦痛から逃れるべく、逃げ出したフランクのところに案内すると進言する。ちょうど父親を殺された後に家に到着した彼女は、父親として目前にいる彼がフランクだと気付き、フランクと最後の肉弾戦を敢行する。その過程でジュリアはフランクの餌食になるも、カースティはフランクを魔導師の前に連れ戻すことに成功した。フランクを地獄に送り返し、カースティはボーイフレンドとともに生き抜くことができたのだ。

 本作で目を引くポイントはビジュアル面のグロテクスさや、人間の歪んだ欲望や愛といったところだろう。

 まずグロテクスさに関しては、虫や血、皮膚のない人間など、生理的に気持ち悪い演出が目立つ。ウジムシやゴキブリは実物だし、汚物や血の雰囲気にもリアルな気持ち悪さを感じる。また、魔導師のビジュアルも鮮烈だ。ピンヘッドのような頭にピンが大量に刺さっている人間はもちろん見たことないし、不気味さをいかんとなく発揮している。魔導師は登場時間が短いものの、そのキャラクターの目立ち方からも重要なポジションになっていることがわかるだろう。普通のホラーとは違う、スプラッターとしての生理的な恐怖を映像化した作品が本作なのだ。

 また、人間の欲望や愛についてテーマ設定していることもわかるだろう。快楽への欲求には思わぬ落とし穴があり、歪んだ愛は普通ではありえない行動も可能にしてしまう。論理では割り切れないような人間の複雑さを再現しようとしていたのが本作ではないだろうか。個人的に一番怖かったのは、フランクのために殺人をもしてしまったジュリアの存在だったりする。愛人のためとは言え、連続殺人犯にもなってしまうものなのか。

 このように、生理的な恐怖と道義的な恐怖、二つを上手く掛け合わせた作品として現代人でも楽しめる仕上がりになっているのではないだろうか。

子犬を畏れる男

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